鉄山・弥山
2006年10月8日(土) 曇り・強風 


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大川口(おおこぐち) 8:45〜 鉄山 10:50 〜道に迷う〜 弥山小屋 16:30〜 奥駈け出合〜行者還トンネル西口19:00〜大川口19:40


 おやじさんたちは8日にグループで弥山に登り、おやじさんと私の二人は、翌日朝5時にトンネル西口で待ち合わせたのちに、1台は西口に置いておき、もう1台で白川八丁へ行き弥山川を上ろうと、約束していました。

 先日、お会いした天神(あまがみ)さんが登られた鉄山が気になっていたので、私は、8日鉄山から弥山へ行ってみることにしました。
 
 途中でおやじさんたちと会えるか、あるいは、当日は車中泊としてましたので、「8日の夜はおやじさんと一緒に焼酎でも飲めるかな」と思って、今回は家内に多い目のお弁当を作ってもらいました。

 朝、起きてニュースを見ると北アルプスは大荒れで遭難のニュースもやっていましたが、「こっちは大丈夫なのに・・・」と、他人事のようにニュースを見てました。



大川口に駐車してすぐの登山道入り口

 「弥山へのルートは、倒木その他で非常にわかりにくくなっています。テープも個人的なもので信用できません。自己責任でお願いします」と、看板に明記してあります。

 登り初めてすぐに急斜面の連続ですが、すぐ後ろに「バリゴヤの頭」や「川迫ダム」の一部が見えて、少しずつ高度が上がっているのがわかります。
 それとともに、風もだんだん強くなってきました。


鉄山頂上手前の稜線

南天の実

鉄山頂上

 鉄山の頂上まで上がると、北側は視界が開けていますが、西側はガスがかかってきました。

 左の写真は鉄山の頂上からひとつコルを越えて、南側のこれから歩いていく稜線です。

 この写真を撮ったあとで、アクシデント。

 倒木を越えようと、倒木の手前に右足をおき、左足が倒木を越えようとしたときに、右足の足場がすべり、倒木に倒れ込んでしまいました。
 右足は抜けず、脛を倒木の支点にしてヤジロベー状態です。なんとか、起きあがりましたが、脛は痛むはストックは曲がってしまいました。
 右足は痛みますが、体重をかけても痛みがひどくなることはなかったので、このまま弥山へ向かうことにしました。

 足が痛むので、すこしゆっくりと歩きました。
 二つほどコルを超えると、台地状のコルに出ました。北側の白子谷へ降りていくルートの合流地点と思います。
 このときから、写真を撮って画面を見ると真っ白になっていたので、標高を上げるごとにガスもひどくなってきました。東側は布引谷や国道もはっきり見えていたので、「もう少しで弥山の山頂に到着」と、思っていました。

 倒木ばかりの斜面に出てきて、しばらく歩くと、視界もきかず今どこにいるのか分からなくなりました。
 うろうろしている間に、今度は、右足の太股を木の枝で切ってしまいました。時間を見ると1:30.
 携帯は「圏外」ですし、最悪はここらあたりでビバークしなければならないと覚悟しました。 磁石で方向を確認して、南へ向かっているつもりでも、次のピークを見失ってしました。

 とりあえず気持ちを落ち着かせるために風をさけて倒木に腰を降ろし、お昼もまだだったのでお弁当を食べました。今回は半分弱を残すようにしました。

 ここから来た道を引き返すよりも、弥山へ向かう方が安全と考え、食事休憩後また歩き出しました。この時心がけたのはなるべく尾根道をはずさないこと。
 1時間以上うろうろしてましたが、突然視界がはれました。見覚えのある八経ヶ岳がすぐ左に見えました。

 どうやら弥山の西尾根に紛れ込んでいたようです。
 ここからは、等高線に沿うように気をつけて藪こぎをしていきます。そして、狼平から弥山小屋の登山道に出ることができました。
 「道に迷った!」と、気付いたときからは足の痛みは感じませんでしたが、少しほっとすると、痛みもぶり返します。

 弥山小屋で電話を借りて、明日の弥山川行きは中止にしたいことをおやじさんに伝え、私は小屋で泊めてもらうように頼むつもりだったのですが、小屋のあごひげの青年から「トンネル西口周辺も圏外ですよ」と、教えられて、結局、トンネル西口へ降りることにしました。
  
 出合まで降りてくると完全に真っ暗になりました。頭に着けた小さな電灯の光を頼りに、文字通り一歩ずつ足を降ろしてゆきます。
 真っ暗闇のなかで光る2対の光は、2頭の鹿のようです。5月に降りた時の記憶もよみがえってきます。

 なつかしい木の橋・トンネル西口から大川口までは40分ほど暗い国道を歩き、大川口の車まで戻ってきました。その後、トンネル西口まで向かい、夜食後,後ろの座席を倒して眠りました。風は12時頃まで強く吹いていましたが、1時には収まっていました。

 翌朝5時におやじさんが到着後、事情を話して、弥山川行き中止を詫びました。


怪我はたいしたことなく、3日ほどでもとに戻りましたが、短い時間とは言え「遭難」状態であったことは事実です。
また、弥山川を楽しみしておられたおやじさんにも迷惑をかけてしまって反省しなければなりません。

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